田力地区の話題
『初めて田力地区で海成層の存在を確認』
松島信幸氏(理学博士)と村松 武氏・小泉明裕氏(共に飯田市美術博物館)による地質踏査の結果、田力地区で初めて海成層(海中で堆積した地層)が確認されました。
この海成層は、田力神社の裏の地層で確認されたもので、これにより下伊那の地質図が少し塗り替えられることになりました。
田力神社の裏の黄灰色の砂岩層には、褐色の酸化鉄が染み込んだ直径2cmほどの筒状のものを所々に見ることができます。これはカニや魚などの浅海の生物たちがエサ探しや棲家のために海底に穴を掘った痕で「生痕化石」といいます。この「生痕化石」が田力神社付近の地層が海中で堆積して生成された地層であることを示すのです。
またここでは、この他に浅海生の「シラトリアサリ」や汽水生の「オキシジミ」、さらに「フナクイムシ」に食われた「材木化石(島岡一郎氏所蔵)」も確認されました。
これまで千代地域では、「米川層」といわれる米川峠などの泥岩層から産出される比較的深い海(100mより深い)に棲む貝・ウニなどの化石が知られていました。
一方、米川峠より1km程度北方に位置する田力地区には、植物化石を多産する「田力層」といわれる淡水成層のみが知られていましたが、その上位にあたる田力神社近辺で存在が確認された浅海成層は、田力地区にも海成の「米川層」が分布していたことを明示するものとなりました。
これらの事実は、千代地域が海であった頃(1750万年前ころ)の古地理の変遷を教えてくれます。はじめは全て淡水域(大郡層・千代層・田力層)であったところへ、海水準が上昇して最後は全て海(米川層)になったのですが、海水が浸入してきた時、米川地区は比較的短期間に深い海になったのに対し、田力地区は地形的に高い場所であったため、しばらく波打ち際のような浅い海だったということが想像できます。
現在の日本の形ができる以前の遥かに遠いとてつもなく昔の話です。
生痕化石